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28日には麿の介助用のベストとか さんぽに行く時に
いつものおトイレスポットの手前になると うん をお漏らしして
足などを汚してしまうから その時だけの臨時処置でおむつを大量に
頼んであったから そのおむつ やら サメ軟骨パウダーやら
沢山届いていたから かなり介護が楽になるなあと思っていた。

11月28日の夜は麿の横で布団を敷いて私が寝ていた。
ぷみまろ と交代で添い寝を行っていた。

朝起きると 麿が一生懸命這ってきていて すぐとなりに寝ていた。
鼻血はひどくなっていた。
もうここ3日くらい止まったり出たりを繰り返していたから。
でもひどくなってるなあ と思い 止血をしたら落ち着いたので
安心して お水を飲ませて 身支度を整えて 仕事をバックレてくれる
事を決めた ぷみまろ に一声かけて 眠っている麿を起こさないように仕事にいった。

昼休みには もうそろそろペット霊園を探しておかないと。。その時が
きてからでは 混乱してそれどころではなくなるから。。。
と思い 仕事場でペット霊園を探しておいた。
この日はわざわざ当直を入れてあったので お家には帰れない日だった。
抗癌剤を行えるかも。。と思っていた時期に日程調整をしてあったから
仕方なかった。

3時20分 ぷみまろ から電話があった。
「麿は逝ってしまった」

職場なのに涙を止めることができなかった。
「今日は帰れないよ。。だって今からかわってなんていえないし。。」
そういう私に ぷみまろ は
「仕方ないよ。。大丈夫だから」と。

でも 気持ちを押さえられなくて
片っ端からかわってくれないか聞いてみよう と思い電話をきらずに
お願いをしていった。
今 考えると 泣きそうな人に頼まれて 断れないよな。。と
思う。案の定 かわってはもらえた。
次の日のお休みをとることができた。
上司にはしぶられたけどね。

帰ろうと車に乗ったはいいものの 家に帰るのが怖かった。
いつも お帰り と迎えてくれる 麿が動かないなんて信じられなくて
さっちゃんに電話をした。
いろいろ話をして 少し泣いたら 落ち着いたから帰ることにした。

お花屋さんによって スーパーによって 他にどこかよった気もするけど
覚えていない。

帰ったら 麿が寝室で眠っていた。
ぷみまろは何かしてないと 落ち着かなかったようで バタバタとしていた。
麿はもう死後硬直していた。
呼んでも 顔を上げない。
その後は覚えていない。

朝 やっぱり麿は動かない。
もう麿の介護はないから ぐっすり眠れるはずなのに いっぱい夢を見た。
麿が顔を上げてくれて ぷみまろ と二人で硬直した足をマッサージしてる
夢を見た。
もう 霊園には予約をとっていたから ダラダラと麿の傍にいた。
麿の朝ご飯を用意して お水を取り替えた。
もう苦しくもなく 痛みもない麿はきっと 食いしん坊になって
今までの分を取り戻すかのように食べまくると思ったから。
初七日までは今までとかわらずしようと決めていたから。
その後 麿のとなりで眠っていた。
麿を抱えながら眠っていた。
まだ あたたかい部分が残っていた。
また 夢を見た。昨日と同じ夢だった。

ぷみまろ に霊園にいかなきゃと起こされた。
いざ麿を焼いてしまうとなると かなりの抵抗があったけど仕方ない。

霊園で丁寧に対応されて 麿を動かすと 大量の血液が鼻からでてきた。
おしりからも うん がでてきてしまう。

あああ やっぱり出血が原因で もうろうとしながら逝ってしまったんだな
と確信した。
輸血しても もうどうにもならなかったんだ。。と思った。
だから もがき苦しんだ形跡もなく眠るようにいってしまったんだなと。
せめてもの救いかもなあ  などと思っていた。

焼かれた麿の骨をみて 驚いた。
脊髄の一部がかなり変色していた。おそらく転移なのかなと思った。
尾っぽが動かなくなったり うん を我慢できなくなってきていたのは
このせいか。。と思った。

淡々といろんな事を終えて ぷみまろ と はらいの席 もかねて
ご飯をたべて 迷惑をかけてしまった方々やお世話になった方々に
お礼を買ってかえった。

家は静かすぎた。
麿は騒ぐ子ではなかったけど 帰ってきて 息を荒げて喜んでくれる
麿はもういない。
のこったものは いっぱいあるのに。。
部屋もぐちゃぐちゃだけど かたづける気になれない。

2年たてば 生まれ変わると聞いたことがある。
四十九日までは お家にいるだろう。

それを信じようと思う。
泣いていたら 麿が逝けなくなって 生まれ変わることもできないのだから。

麿を出会ったのは2000年の4月1日  小熊のような子だった。
落ち着いた子犬だ と獣医さんから びっくりされた。
マイペースで 一人遊びが好きな子だった。むしろ私がかまってとお願いして
遊んでもらっていた。
1歳の頃は静かなるデストロイヤーで いろいろなものを壊しまくった。
誰にも気づかれる事なく リモコン 遊びにきた弟の携帯や眼鏡を破壊したり
あたしの美容液をすべてなめて うん が いいにおいだったこともある。
2歳の頃は麿にとってつらいことがあった。
正確には2歳前だった。 いろんなことがあり 麿もつらい思いや我慢をしてくれて ワンルームのマンションに引っ越した。
文句一つ言わず ただ一緒にいることを大切にしてくれた。
このころの麿は いたずらもしなくなっていた。
何一つ 手のかからない子だった。
2歳半で ぷみまろ に会ってからは ぷみまろ に甘えまくりでわがまま
言ってたけど とても幸せそうだった。
3歳には今のマンションに越して来た。
麿の大好きな我が家となった。
さんぽ の帰り道や 旅行の帰りに「おうちに帰ろう」というと
うきうきしていたくらいだった。
4歳の頃は いっぱい旅行にいった。
もともと結構 行っていたけど とにかくいつも3人で出かけていた。
5歳には 私達の結婚式に出てくれた。
タキシード姿のぷみまろ と ウェディングドレス姿の私の間にちょこんと
座っていた。
結婚式前夜 と その後の夜に セミダブルのベットを2個つなげて
3人で 川の字に寝たことは 内緒の事実であったりする。
6歳になって もう麿が全く手がかからないからと ぽてと を迎える
決意をした。
なんだかんだ と優しい麿だった。

短い犬生だったけど すごく濃厚な6年と9ヶ月だったよね。

麿ほどの最高のパートナーはまだいないけど 麿の教育がいきている
ぽてと が また最高のパートナーになってくれるだろうね。
でも 私には やっぱり 麿以上の存在はもう現れないかな。
同等くらいはあるかもね。

悪性組織球症は急激は転化で命を落とすと言われてるけど
そうでないケースでした。
春から嘔吐や関節炎そして発熱があったりした。
これは嘔吐はともかく 関節炎と発熱は初期の重要な主訴だそうです。
抗癌剤のおそろしさ もわかったけど それと引き換えに 楽しい日々や
すこしでも穏やかに逝けたのかもしれないね。
1回目の投与では やってよかった って思ったけど 2回目では
後悔した。   それに関しては未だに答えはでないけど。
でも きちんとした治療が見つかってくれたら と願ってやまない。
その前に ブリーダーさんに少しでも その血筋のない子をと
頑張ってもらうしかないのかな。


いなくなってしまっても あたしは麿を愛してやまない。

これからは ぽてと を 麿に教えられたことを大事にして 育てて行こうと
思う。


それにしても 麿さん やっぱり食いしん坊 
だって 11(いい)29(にく)の日だもんね。


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昨日が抗癌剤の3クール目の日でした。

前回の投薬から2週間がすぎた頃から 麿の関節炎も酷くなってきていて
座るときに尻餅をついて 尾っぽを痛めて 振る事も上げることもできなく
なっていました。
こういったことは 元気な頃関節が痛いときにもあったので
慌てることはなかったのですが
今回は下痢も酷くなっていて 尾っぽをあげておトイレできないから
お尻が汚れて 麿はそれをきれいにしようと 顔中うん○まみれ。
なので おトイレの時は付き添って 尾っぽを持っていてあげて
その後 おしりふき でふいてあげていました。

おとといの夜は あたしは 麿の病院に行くために 当直で
朝帰ってきてから 麿の病院にいくのでいなかったのです。

朝 帰ってきたら 麿は うん○まみれ。
お顔は汚れていた。
ぷみまろ が出勤した後に 下痢になっちゃって困っていたのでしょう。
病院の予約に遅れてしまうけど きれいにしてあげようと お尻に
ティッシュをあてたら きゃいん! と鳴く。
お尻をみたら ひどくただれていた。
そんなことをしていたら ぴみまろ が仕事を抜けてきて帰ってきた。

「麿が朝どこからか出血してたみたいだけど どこかわからなくて。。」

と言う。
いろいろ体をチェックしたら 舌に紫斑ができている。
お尻もただれて切れている。

おそらく今日の抗癌剤はできないだろうと思いつつ病院にいって
検査をした。
予想通りの結果だった、
1回目の投薬の2週間後の結果と 2回目の投薬の2週間後の検査結果
では 正常範囲であるのだけど 2回目の時の方が低いデータだったので
もしかしたら。。。とは思っていた。
今回は血小板が正常で20万なくてはならないものが 1.1万だった。
前回の投薬の時は 28万はあったのに。。。。
副作用からの復活が遅くなっている。

先生から 今回の投薬は無理だということ。
1週間後のデータで 投薬可能な状態になっても また今回と同じになって
今度は復活するかどうかも怪しくなること。
できないことはないけど かなりのリスクを伴うこと。
抗癌剤の効果はもう切れているので これをつなぐためにもう一つの
抗癌剤があるのだけど 今まで使った例があまりに少なく
副作用は全くないのだけど 効果があるかどうかはまったく不明だということ。
そんは話をしてもらった。

先生の口から 緩和。。。という選択をもらった。
緩和なら腫瘍科にかかならなくてもいつでも診療にくればいいから
比較的通うには融通がきくと。

このとき 不覚にも 泣いてしまった。
病院では泣かない 泣くべきでない。そう思っていたのに。

今まで 抗癌剤をしつこいほどに勧めてきた先生が
緩和。。といった。
先生の立場もわかるし 当然の話だし 覚悟もしていたのに
気持ちが押さえられなかった。
「来週の結果をみてから 考えます」
これが精一杯だった。

お尻は 私たちが拭きすぎていたことと 麿がなめてしまうことが
わかって きちんとしたケアを教えてくれた。

家に帰ってからの 麿はやっぱりしんどそうだった。
血液の出血をとめる血小板が少ないということは 臓器内出血や
小さな刺激での皮膚内の出血も止められない状態だから
どこかで出血があるのかもしれない。
ここで輸血しようが何しようがもう どうにもならない。
麿の復活力を期待するしかない。
腫瘍が活発に増殖し始めているのか 麿はおなかが痛いらしく
寝ながらも いきむときがある。
そんなときに ただれてゆるんでしまったお尻から お漏らしをしてしまう。
早く ただれが治ってくれたら 少しは違うのかな。

抗癌剤をやったことに後悔はないのです。
やった事で大変な思いもあったけど でもやり始めてから
ぷみまろ のお迎えをすることが楽しみになり
全くなかった食欲も アイスなどの好物は食べたがったし
ランにも行けた。
喜んで 走ることもあった。

来週の結果で 抗癌剤できるよ と言われても
リスクを考えたら 難しい。。。というか
もう いいかなって思う。

症状がでてから もう5ヶ月。
十分頑張ってくれたもんね。先生も驚いていたし。

緩和の方向で考え始めています。
それにともなって できるかぎりのことをしてあげたいから
以前 鍼治療で教えてもらった レメディ をやってる病院に
いってみようと思う。
麿はなんていうだろう。
苦しくてもできるだけ一緒に居たいというだろうけど
さよなら が早くなるリスクがあるのなら お薬やめる って言うと思う。

さっき ホームドクターに麻薬の取り扱いをしてくれてるか聞いた。
麻薬の取り扱いがないと 緩和をしていくには難しいから。
そしたら
「今 申請してて来年の1月からでないと だめなんです。。」って。
新しい検査もそうだったけど 先生たちはある程度の予想をしてくれて
申請してくれていたらしい。
今では がんセンターの玄関で 嫌だ嫌だ という麿。
もう なるべくなら 自ら進んで行く ホームドクターの先生に
お願いしたい。
来年まで 麻薬使わなくてもいい状態でいてくれたらいいのだけどね。


みなさんのコメントや アクセスで どれほどの方が気にかけてくれているか
わかっています。
本当にありがとうございます。
これからは アップもなかなか難しいけど できる限りアップします。
だって 残さなくちゃ この病気の情報少ないものね。

麿さんマジック 起きないかな。。
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麿さん やっぱり抗癌剤投薬後2~3日具合悪かった。。
今は 上向きになってきよ。

がんセンターの先生が言ってた。
「続々と 悪性組織球症の子達がきてますよ。。でもみんな諦めてしまうんです。。」
先生の残念な気持ちはいろんな意味でわかる。
たくさんの症例を集めなければ この病気の治療の発展にはならない。
ロムスチンが有効な確立が高いから やってみてほしい という気持ち。
投薬前の状態が良好なら かなりの寛解がのぞめるからみたい。

でもね先生。
あたし それについて何もいえなかったけどさ
心の中で すごく思った。
それは 病院で一時しか病気の子をみてないからだよって。
わたしが抗がん剤をどうするか悩んでたとき 先生いったよね。
抗がん剤投与したら 2週間はそれなりのケアをちゃんとしてもらえないと困るとか 朝見て丸1日夕方まで様子みれないのは どうかと思うって。
なんならこれを機会に 麿ちゃんのために人生かえるつもりで 仕事を諦める
のも一つの手ですよって。
そんなこと言われたって 仕事やめたら 麿の治療費どうするのよって困った。

みんな 大事な家族を助けたい思いは当たり前にある。
だから がんセンターに行く。
なのに そんな事いわれてさ その上 高額な抗がん剤の費用の見積もり出されたら そりゃみんな引くよ。
みんなにだって生活があって 家庭環境だっていろいろ。
経済的なことだって大事なことだし。
いろんな事をふまえながら いろんな思いの中で 選択しなきゃならない。
あきらめることが 間違いなんかでないのにね。
苦渋の選択であきらめる人だっている。
悪性組織球症 と知ったとき 私たちは もうこのまま安らかに。。緩和して行く方が麿の幸せかも と思った。
抗がん剤のキツさは ぷみまろ は肉親で 私は仕事で知っていたから。
人間の抗がん剤だけどね。。
だから そういう思いも間違いとは とても思えない。
事実 今だって あんまりに副作用がひどいなら すぐに緩和にかえようと思っているくらいだから。

幸いうちは ぷみまろ が日中家にちょこっとでも帰ってこれるし
子供もいないし 他の家族は ぽてとだけ。
先生がいうような 理想的なケアはできてないけど 
できる範囲で頑張ってるよ。
出来る事を精一杯やってあげることで十分ではないかな。
最初から 構えまくって こうしろああしろって言われたら
いろいろ悩んでる飼い主さんは 混乱しちゃうもん。
それでなくたって 尋常な精神状態でないのだから。
諦めてほしくないと 先生たちが それほどに思うなら 
先生たちにももう少し協力的になってもらいたいって
ぷみまろ が言ってたよ。
往診可能にするとかね。夜間診療するとかさ。
休日も診療するとかね。
本当にその通りだと思う。

ぷみまろ は 私より麿の介護に集中する。
今まで 一時 一瞬でも これでいいんだろうか?こんなにまでして食べさせる必要があるのだろうか? と思ったことはないそうだ。
これは すごいことだと思う。
私は 悲しくなって 可愛そうに思って そう思ったことがある。
いや もしかしたら 可愛そうとかではなくて 一時期すごく大変だった時期に自分がつらくなってきたから そう思ってしまったのかもしれない。
そんな自分が嫌になって へこんだ時期もあった。
人間の嫌な部分を自分の中ではっきり見せられた気がしたから。

彼自身 自分がここまで 誰かのためにする人間とは思ってなかったと言ってた。そんな面倒な事できるわけがないと。


吐かないなら とにかく食べさせる。
先生たちもしきりにそれは言っていた。それがなにもかもを左右するって。

麿は今 グリニーズ と サメ軟骨 と パン と アイスは自分から
欲しがる。
パンはちょっとあげられないけど。。
それでも グリニーズ と サメ軟骨では ごはんにならないから
強制給餌がんばっております。
そんなわけで実況です。

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ここで終了~♪

たしかに 普段のたべる量からしたら カロリー多いんだけどね
でも 吸収がわるいので これでも少ないくらいなんだよ。

今 麿さん 下痢さんから軟便に変わってます。
あまりにうれしくて 画像アップしたかったけど 人としてやめました。。
モザイクかけたら せっかくの感動が伝わんないし。。
残念ですね。

そして  うちのお芋ちゃん。
いろいろ お仕事やってくれてます。

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いつになったら 大人の女性になってくれるのかなあ。
そうそう
抜糸は無事完了です。

それでは おまけ画像でーす。
癌センターでもらう お薬の袋です。
あんまりかわいいから とってみた。

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昨日 抗癌剤の投薬2回目となりました。

投薬前の血液検査では 貧血こそあるけど 全く問題ないくらいに
抗癌剤の副作用から立ち直ってました。
白血球が減少して感染症を起こすのを防ぐための抗生剤をずっと飲んでいたけど
飲まなくてよくなりました。
一回目の抗癌剤の投薬での副作用で感染症になってしまいそうなくらいの
白血球の減少はなかったからって。

ただ気になることがあった。
投薬後1週間ではすぐには手では触れないくらいまで
腫瘍は小さくなっていたのに
3週間たったら もとの大きさに戻っていた。
といっても触った感じは前とちがって柔らかいんだけど。。
先生は投薬からどのくらいで小さくなって いつくらいから復活するのか
知りたいから一週間おきに超音波検査をさせてほしいていうのだけど
これ以上 お休みとったらさすがにまずい。。
超音波でいろいろわかったからといって 投薬ペースが変わるわけでもないし。
投薬一週間後の検査はもともと休みとってたからいくけど
さすがに2週目はむずかしい。。

大きさが戻ったからといって それが腫瘍細胞そのものとは限らない気がする。
もともと腫瘍は中心部でそれをやっつけようと囲んでる肉芽腫がある。
腫瘍がなくならない限り やっつけ作業はおわらないので肉芽腫ができるし。
抗癌剤ではこの肉芽腫の増殖もストップするけど 抗癌剤がきれれば
また腫瘍細胞をやっつける作業ははじまるわけで。。
だから 純粋に腫瘍がでかくなってるのかどうかがイマイチわからない。
実際 前触った感じでは ゴリゴリに固かったけど 今は柔らかいし。
うーむ。。
超音波なんかじゃ大きさしかわかんないしね。
困ったものです。

そんなこんなで じわじわ と麿はよくはなってます。
下痢も1日2回になったし。
調子よくて はしゃいでた時期があったからそのせいで関節炎がでてきて
しまってはいるけどね。
でも 強制給餌も30分でおわるようになったし。
2回目の投薬の効果がどのくらいでてくれるかですね。

投薬後だから ちょびっと麿さん 気怠そうです。
投薬前の検査で1日癌センターに預けなくちゃいけないんだけど
それが一番 しんどいようです。
麿が 先生たちに気を使ってるのがよくわかります。
なんだか 最近 言葉だけで 麿を誘導できるし 話するとわかってくれるし
 麿が 犬 だということを忘れてしまいます。


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